子宮 体 がんの闘病記ブログは人気です
あれから2年余りがたち、私たち親子の闘病記も、まもなく最終回になろうとしている。
とは言っても、まだ、今はこれ以上は書こうとは思っていないのだけど・・・。
けれど、母を実家に送り届け、一人で車を家路へと走らせていると、様々な疑問や不安が頭の中を過ぎる。
子宮頸がんは子宮 体 がんに比べて、若い女性が見舞われるケースが多く、そうした人たちの闘病記をネット上でブログとして目にする機会も多い。
一方、閉経後の女性冠者が圧倒的多数を占めると言われる子宮 体 がんの闘病記は、まだまだ少ないような気がする。
先生に、何か質問はと言われても、子宮 体 がんそのものがよく解らない私たち親子に、細かな質問などない。
そこで、その51歳で子宮 体 がんになったという女性の闘病記を、ついつい興味深く読んでしまった。
けれど、その時ふと思い出したのが、以前たまたま読んだその51歳の女性の子宮 体 がん闘病記だったのだ。
けれど、そうした情報の少ない疾病の闘病記ほど読んでおく必要があるのではないかと私は思う。
本人だけではなく、家族の気持ちもよく解るその子宮 体 がんの闘病記は、それ以降、何度となく私たち親子の支えになってくれた。
正直、最初に医師から告げられた時には、子宮頸がんと子宮 体 がんの区別すらはっきりとはついていなかった。
ただ単に、がん、それも子宮がんという言葉に圧倒され、とっさに何を言って良いものなのかが判らなかった。
しかし、私が一夜にして得た子宮 体 がんの知識はとても大きかった。
子宮 体 がんという言葉に戸惑い悲しむよりも、まずは取り敢えず正しい知識を持つ事が大切だからだ。
しかも、夫婦二人三脚で戦った記録という事で、時よりご主人もブログを更新していた。子宮 体 がんの闘病記というのをたまたま読む事になってしまった私、考えて見れば、これまで子宮頸がんの闘病記は読んだ事があっても、子宮 体 がんの闘病記は初めて。
私もその場では母の体を支えるのが精一杯で、子宮 体 がんという病気を理解する余裕などなかった。
でも、私たち親子があの夫婦に助けられたように、そうしたブログやサイトで救われる人は沢山いると思う。
すると医師は答えた、”まだレベル1の子宮 体 がんですからね、オペをしてみないとはっきりした事は言えません!!”と。
子宮 体 がんと子宮頸がんの違いがよく分かっていなかった私は、子宮がんで検索していたため、子宮 体 がんではなく、子宮頸がんの情報が沢山出て来た。
約2年半に渡る彼女のブログを最初から最後まで全て読んでいたら、とうとう夜が明けてしまった。
ただ、母は聞いた、”後どの位、私は生きられるのでしょうか?”と。
子宮 体 がんに私が突如興味を持ったのは、母が子宮 体 がんと宣告されたからだ。
今思えば、あれはいい意味にとらえるべき回答だったのだろうと思うが、何も解らない母はその場で泣き崩れた。
そして、今まさに立ち向かおうとしている人たちには、出来るだけ医師や患者の書いたブログやサイトを読んで欲しいと思う。
まあ、なるべく形あるものとして残したくないという思いがあったのも事実だ。
実際のところ、日本では子宮 体 がんよりも子宮頸がんの方が圧倒的に患者数が多い。
有名なところでは、向井亜紀さんやZARDの酒井泉などが思い出されるが、いずれも子宮頸がんだった。
なので、私も勇気を振り絞って、母の子宮 体 がんの事を今日初めてこのブログに書いた。
そこで、その夜一人パソコンの前に座り、子宮 体 がんについて調べてみる事にしたのだ。
けれど、子宮 体 がんは治る病気である事を教えてくれた、いくつかのブログやサイトには、心から感謝している。
私はとてもじゃなかったけど、あの夫婦のような細かな子宮 体 がん闘病記を書く余裕などなかった。
母の子宮 体 がんとの戦いの日々は、今でも出来る事ならなかった事にしたいと思っている位だからだ。
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